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環境と制作

 3月……最近はなんとなく寒さが和らいできたような気がする。とはいえ、やっぱり寒いものは寒いのだけれど、うっかり手袋やなんかを忘れてもどうにか我慢できる。

 さて先日できあがった作品をFBでアップしたら、画風が変わったねなどのコメントをいただいた。その方に作品を直接みていただいたのは一度きりなのだけれど、そのころはもう4年ほど前で、当時ボールペンなどを使った細かい線描に色鉛筆などを使って彩色するような作品をメインにしていた。そのころと比べると、なるほどずいぶん変わったなぁと思う。

 なんでだろう?としばらく考えていたけれど、環境かなぁと一人ぼんやりと思った次第です。もちろん、美術のことを知る過程で当時の表現方法に限界を感じていたというのもある。ちょっと飽きてきていたというのも否めない。けれど環境が変わったというのが一番なのかもしれないと思った。
 
 当時、ボクは会社員だった。大体週に5日は都内に通い、出勤日は一日10時間は働き、通勤には往復で2時間半は使っていたから、ここから睡眠時間を引いたら、自由な時間は限られていた。そこで、制作時間を捻出しようとすると、お昼休みとか、あとは休みの日とか、あとは切れ切れの時間になんとか滑り込ませるくらいしかなかった。それで不自由だと思ったことはなかったけれど、表現の手段は限られていた。かばんに入るくらいのスケッチブックとボールペン、色鉛筆は使いそうな色をその都度選んで持ち歩いた。すなわちこれが、ボクの美術の道具だった。制作場所は会社の休憩室とかカフェとか電車の中とかで、とにかく毎日描けるだけ描いた。会社員のころの最後の2年ほどはスタジオも借りていたので、絵の具なども使うようになったけれど、やっぱりメインはこのどこでも描けるスタイルだった。今考えても、この制作方法は当時のボクにはぴったりだったと思う。とにかく描けることがうれしかった。そして、そこに救いをもとめていたような気がする。

 現在ボクは早朝のパン屋の仕事を週に3、4回こなし、子ども教室は週に4回、開校して生計を立てている。休みは週に一回も取れないこともよくあるけれど、それでも、スタジオには毎日行ける環境にあるし、絵の具も使えれば、かばんに入らないような大きさのパネルにも自由に絵が描ける。誰の目もはばからず、体をつかった自由な線を引くことができるし、スペースが絵の具で汚れることなども気にせず制作に集中できる。これで作品が変わらないほうがどうかしているというものだ。

 環境が変われば作品が変わるにはすごく健全だなって思う。

 いいとか悪いとかっていうのはわからない。けれど、変化を受け入れていくことはとても大切だと思う。

 余談だけれど、美大生の方が卒業後、制作ができなくなってしまうという話をよく聞く。美大というところは美術の制作だけに集中できる環境が整っている。時間もたっぷりあるから、極端に言えば朝から晩まで美術のことを考え、制作に没頭できるし、それが良いとされる場所である。社会に出ると自分のお金でスペースでも借りない限り、そんな環境はなかなか手に入らない。しかも普通は仕事をして生活費を捻出しなくてはならない。たっぷりとあった制作の時間は一日数時間が限界になってくる。材料費だって自分の稼いだお金から出費をひいたあとでは湯水のようには使えないだろう。制作の手が止まるというのも頷ける。

 でも……とボクは思う。そのときに合った制作をすればいいんじゃないかな~と。
 大学に在学していたころと同じような作品をつくるのは無理というものだろう。力業で続ける人もいるだろう。それは素晴らしいけれど、無理しないで、できる表現をすればいいんじゃないかなぁなんて思う。

 ボクは美大に行っていないし、だれかに教わったりっていうのもあまりないから、そういったものにあこがれが強い。でも、今の制作の感覚と引き換えに教育を受けることができたとしても、それはしないだろうと思う。

 なーんて、ちょっと散歩しながら思ったので書いておく。

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                     堀江和真

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