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高校の先生

2020年02月05日
 どーも、堀江和真です。

 久しぶりの投稿です。前回のブログからけっこう作家っぽい活動もしていたのだけど、忙しくなると投稿が遠のくという一番良くないことをまたやってしまった。どうでも良さそうなことはずらずら書くくせに、である。

 そして、またあまり作家活動には関係のないことを書く。活動についてはまた今度。

 さて、先日、高校の先生をやってみない?というお話をいただいた。紹介という形だったので、その後の面接や書類審査を通過しなければなれないというようなお話ではあったのだけれど、正直この話を受けてみるのか?という点については、正直かなり迷った。教員の免許もない、美大も出ていないボクが私立の高校で美術を教えるようなことになれば、これはずいぶんな出世と言えるのではないかと思う。高校生に伝えたいこともある。大人になりつつある彼らに美術の楽しさを伝えてみたいという気持ちがなかったわけではない。


 結果から言うと、このお話はお断りをした。

 まず、第一の理由としては自身が運営している子ども絵画造形教室の方に力を入れたいと思ったからというのがある。幼稚園生と小学生を教えているのだけれど、まだまだ全然勉強不足であるし、習得したいテクニックや増やしたいサービスも山ほどある。これに高校生も加わると、中途半端になってしまうと思ったことがあげられる。

 第2の理由は、人の作品に優劣をつけるということをするのが嫌だなと思ったというのがある。例えば単純に絵がうまい子がいて、もう一方は全然上手じゃない子がいたとして、これに優劣をつけるということ。美術は上手いだけではどうにもならない。でも美術という科目においては、うまい子が優で下手な子が劣となるのかもしれない。でも仮に、これをひっくりかえして、上手な子だけど劣とし、下手な子に優をつけるようなことがあったとしよう。それは授業態度の良し悪しなのかもしれない。すごく努力していたからかもしれない。でも美術は努力の有無や態度の良し悪しでは測れない。もっと言えば、表現というものに優劣はつけがたい。課題を与えて、これに対してどう生徒が対応したか?であれば、これは優劣がつけられるのかもしれない。でも難しいよな?と思う。
 ボクが子ども教室で気に入っているのは、この点にある。ボクが子どもの作品をみて優劣をつけることはない。好きか嫌いかは言う。だって、それは好みの話だから。それぞれの作品に対して頑張った点があれば褒めるし、手抜きだなと感じたら手抜きじゃない?と言う。でも他の子と比較したりなんかはしなくてもいい。成績表などないのだから。

 ボクは学生のとき、先生に褒められたことなんて、ほとんどない。たいして突飛なものをつくったわけでもないが、全然理解してもらえないという気持ちがいつもあった。それは具体的にいうと、成績があまり良くないという点からそう感じていた。ボクが誰かにそういう思いをさせるのは嫌だなと思った。

 だから、高校の先生の話はお断りした。「もったいないことしたなぁ」と思わないわけではない。

 人生は色々な方向に道が分かれている。曲がりくねった道。その先は誰もわからない。

 はてさて、2020年、何が起こることやら、である。




 堀江和真