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明鏡止水

2017年09月20日
 ボクは単調な生活を割と好むものである。なので、大きな変化を歓迎する方ではない。でも今年はボクにしては結構いろいろなことがあって、イベントを前にすると、頭の中がこんがらがり、思考だけではなく体までうまく動かなくなってしまう。

 来月の中旬までにかかえている案件をとりあえず書いてみよう。まずは、今週末に終わる森でのイベント。今年の夏も中山の開発予定地である森でおおいに楽しんだ。制作をし、汗を流し、他の参加アーティストと語らい。お酒を飲んだ。あとはクロージングを残すのみ。
 それから来月中旬にある相模原アートラボでの展覧会がある。これは毎年参加しているオープンスタジオのプログラムの一環だけれど、普段のボクの展覧会ではまずお目にかかれない美術関係者も来る可能性が高いので、気がぬけない。ひそかに今年で一番の催しだと思っている。
 あとはこれに関連して、準備のための制作。会期中いつに、会場にいるのか?どんな展示にするのか?空間のつくりこみはどうするのか?いろいろあってけっこうエネルギーを使う。
 それと並行してある普段の仕事。友人とのイベント。兄弟や友人の誕生日。ダイエットプラン。お金のこと。来年のこと。エトセトラ、エトセトラ。色々なことを考えると、ついにフリーズしてしまう。結局は決めたことを一つ一つこなしていくしかないわけだけど。

 そんなわけで考えてばかりで手が動かなくなってしまったときは温泉にいく。そこで、なるべく頭の中を空っぽにして、ぼんやりする。そのときよくやるのが水面をじっと眺めること。今日は水に映っている、木や建物、空を眺めていた。ボクが少し動くと水は動き、あるいは波紋をつくる。いたるところで水の流れが当たったりして、木や建物や空はずっとゆらめいてた。とまることはないのか?と考えてじっとみたけれど、結局とまることはなかった。明鏡止水を待った。でもまぁ、止まることはなくゆらゆらといつまでもゆらめいていた。目を閉じて、心のゆらめきが止まるようにとしばし瞑想をしてみる。でも心もいつまでもゆらめいていた。
 しかし、ボクは思うのだけれど、ゆらめき、波紋を残すさまはそれはそれで美しいと感じた。明鏡止水を目指しながらも、心も現実の水面もなかなか難しい。しかし、それでいいと思えた。

 また、温泉いこっと



                     堀江和真

 これは福岡伸一氏の著書「世界は分けてもわからない」を読んで思ったことです。

 福岡伸一氏といえば、生物学?の有名な先生であり、ボクなんかでもよくわかるようにその世界の含め、美術など様々な観点から、思わず「ほー」と口から出てしまうような知識を楽しく本などで紹介してくれる方である。

 今回この本の中で福岡さんは、マップラバーとマップヘイターという切り口で細胞のありかたを説明している。要約するとこうである。

 世の中には大きく分けるとマップラバーとマップヘイターがいる。地図が大好きで、その中で自分がどこにいるのか?どうやったら目的地にたどりつくことができるかということを地図を通して鳥瞰したがる人(マップラバー)。それから地図を見るなんて面倒で勘で大体のところを手当たり次第に探す人(マップヘイター)がいる。
 
 これを生物学に当てはめると、マップラバーというのは、心臓なら心臓、肝臓なら肝臓という具合に鳥瞰してその機能をみきわめようとしるものを指す。しかし、どこからどこまでが心臓なのかなどという問題になるとそれは曖昧ですべてとつながっているから、一度迷いだすと困難な状況になる。
 マップへイターは、一見曖昧で頼りないが、これは生物学でいうと正しい。そもそも生物の細胞というのは、最初から心臓の細胞、肝臓の細胞などという目的をもっているわけではなく、その都度必要に応じて増えていく。端から全部できていっているため、細胞自体は全体を知らない。とにかく増えていくことを目的とする。マップラバーとくらべて動機がシンプルである。

 というような内容だった。かなり適当なまとめ方で申し訳ないけれど。

 さて、ここまで読んでボクがなにを思ったかというと、ボクの絵のかき方はマップヘイターの描き方である。全体の像は簡単な下書きはあるものの常に崩れては変化する。変化を続けて、ある日できあがる。という具合である。だからってこれが生物学的に正しいかと言われば、それはよくわからないけれど、こういうのは作家のタイプを説明するときも当てはめられるだろうと思う。
 作る前からほとんどの部分を決めてかかる作家。最初のイメージを固定して狂わないタイプの作家がマップラバー。その逆で流動的でどんどんその場で手を動かしていき足りないと感じるものを足したり、引いてくタイプがマップヘイターだ。

 以前にも書いたけど、制作のスタイルでは、普段はあまり作らないけれど、インスピレーションが降ってきたときに一機につくるタイプ、期日が決まったときに一機に力を発揮するタイプの作家を狩人型。毎日コツコツ制作をし、気分がのっているのっていないにかかわらず常に制作のための時間を割くタイプ。制作を畑仕事のようにこなすタイプを農耕民族型という紹介をした。ちなみにボクは農耕民族タイプである。どう見ても。

 もちろん、2つのタイプで人間を分けるというのは乱暴なやり方ではあると思う。その中間という人も多くいるだろう。まぁでもこういうのはちょっと極端な方が説明としてはわかりやすいとは思う。

 てなわけでボクの作家のタイプの新しい紹介の仕方はこうだ。農耕民族型マップヘイターである。

 

            堀江和真