こんにちは。堀江和真です。ボクは絵を描いたり、作品をつくりながら、毎日を過ごしています。このブログでは、そんな日々で感じた事や起こったことを、のんびり綴っています
さて、自分にとって絵画とは何なのだろう?ということを振り返ってみる。小さい頃は、ただ単に描くことが楽しかった。今もそうだ。よく、精神療法としての側面で、絵画がとりあげられることがあるが、ボクの場合、これは当てはまると思う。とりわけ、20代前半から30代前半...会社員をやっていた時期(32くらいでやめた)。ボクは絵画に依存することで、なんとかバランスをとっていたのだと、今思う。絵を描くことを切望していたボクは、会社の昼休みや仕事の合間のトイレの個室でと、少し時間でも作業に没頭していた。あとは仕事が終わり最寄駅についてから、スタジオに向かい、深夜に描いて、翌朝始発に近い時間に会社に向かうこともよくあった。これは根性論とかではない。絵画はボクにとって救いだった。つまりは救いを四六時中、必要としていたわけなのだ。多感な時期だったなぁと思う。
30歳を過ぎたあたりから、コンセプチュアルアートを意識しだすようになった。何故か?それは、そのジャンルの魅力的な作家との出会いが頻発したからというのもあるが、それまでの自己陶酔型の絵画の世界に埋没する描き方に限界を感じはじめていたからというのもあるような気がする。多分、ボクは絵画から得られる救いの力がなくても、なんとか生きていけるようになってきたのもあるような気がする。そうして少し夢から醒めたような心持ちで、客観的に自分の作品をみたときに、それはいささか風変わりではあるものの凡庸なものであるように感じた。それよりも、先人のアーティストたちが、どんな方法を取ったのか?同時代に生きるアーティストが何を考えているのか?そんなことに思いを馳せることが、楽しくなっていった。ボクが考えていることはいつも枠組みを超えることはなく、ここでも凡庸であった。ただし、ここで言う凡庸さは、ボクに考えることの楽しさと、それに答えてくれる美術という学問の奥深さを感じさせてくれた。問いがあり答えがある。それはボクを安心させてくれた。エモーショナルになり、答えの見当たらない自分自身の内面に潜る作業とはまったく違う感覚がそこにはある。
絵を描くことは、今でも好きだ。いささか辟易としているところもあるが、まだやっている。学問としての美術にも、エモーショナルな表現にも、ボクはその楽しさを教わってきた。目指すは、そのどちらの側面も併せ持つものだ。もちろん、ここでもボクは凡庸である。同じようなことを意識しているアーティストは星の数ほどもいることは承知である。でも、このバランスをとることは、誰にとっても難しいであろう。このスリリングな感じが、当人にとっては大切なのだと思う。
何年か前までは、作品は自分の分身のような気がしていた。だから、作品を馬鹿にされたり、無視されたりすると、ひどく悲しくなったり、腹が立った。そのくせに、どうにかこの作品を換金できないかと、考えてもいた。
今はちょっと様子が変わってきた。作品とは、実験物であり、トライしては失敗してしまったあとの残骸であるかのように思える。部分的に成功していても、完全ではない。改善を試みても、前回の良い部分がそこでは影を潜めてしまうことも多い。これはロジックでみても、感覚でみても、同様の感想が出る。自信はない。自信はないけれど、楽しい。今では、あまり作品に対してどうこう言われても、昔ほど心が動かない。自他共に認める失敗作というわけだ。そして、そのくせにこれをまだ換金できないか?と今でも考えてもいる(笑)。
思うに世の中にあるアート作品の大半は同じようのものではないのだろうか?アーティストのトライがあり、精度の差こそあれ、エラーがある。そこに人は何かを学ぶのではないか?と思う
。だから、美術はすごいのだと思う。
これから、あと何年、こんな風に幸せなアーティストライフが続くんだろうな?先のことはわからないけど、コツコツやっていこう。そんな風に思います。
堀江和真
さて、自分にとって絵画とは何なのだろう?ということを振り返ってみる。小さい頃は、ただ単に描くことが楽しかった。今もそうだ。よく、精神療法としての側面で、絵画がとりあげられることがあるが、ボクの場合、これは当てはまると思う。とりわけ、20代前半から30代前半...会社員をやっていた時期(32くらいでやめた)。ボクは絵画に依存することで、なんとかバランスをとっていたのだと、今思う。絵を描くことを切望していたボクは、会社の昼休みや仕事の合間のトイレの個室でと、少し時間でも作業に没頭していた。あとは仕事が終わり最寄駅についてから、スタジオに向かい、深夜に描いて、翌朝始発に近い時間に会社に向かうこともよくあった。これは根性論とかではない。絵画はボクにとって救いだった。つまりは救いを四六時中、必要としていたわけなのだ。多感な時期だったなぁと思う。
30歳を過ぎたあたりから、コンセプチュアルアートを意識しだすようになった。何故か?それは、そのジャンルの魅力的な作家との出会いが頻発したからというのもあるが、それまでの自己陶酔型の絵画の世界に埋没する描き方に限界を感じはじめていたからというのもあるような気がする。多分、ボクは絵画から得られる救いの力がなくても、なんとか生きていけるようになってきたのもあるような気がする。そうして少し夢から醒めたような心持ちで、客観的に自分の作品をみたときに、それはいささか風変わりではあるものの凡庸なものであるように感じた。それよりも、先人のアーティストたちが、どんな方法を取ったのか?同時代に生きるアーティストが何を考えているのか?そんなことに思いを馳せることが、楽しくなっていった。ボクが考えていることはいつも枠組みを超えることはなく、ここでも凡庸であった。ただし、ここで言う凡庸さは、ボクに考えることの楽しさと、それに答えてくれる美術という学問の奥深さを感じさせてくれた。問いがあり答えがある。それはボクを安心させてくれた。エモーショナルになり、答えの見当たらない自分自身の内面に潜る作業とはまったく違う感覚がそこにはある。
絵を描くことは、今でも好きだ。いささか辟易としているところもあるが、まだやっている。学問としての美術にも、エモーショナルな表現にも、ボクはその楽しさを教わってきた。目指すは、そのどちらの側面も併せ持つものだ。もちろん、ここでもボクは凡庸である。同じようなことを意識しているアーティストは星の数ほどもいることは承知である。でも、このバランスをとることは、誰にとっても難しいであろう。このスリリングな感じが、当人にとっては大切なのだと思う。
何年か前までは、作品は自分の分身のような気がしていた。だから、作品を馬鹿にされたり、無視されたりすると、ひどく悲しくなったり、腹が立った。そのくせに、どうにかこの作品を換金できないかと、考えてもいた。
今はちょっと様子が変わってきた。作品とは、実験物であり、トライしては失敗してしまったあとの残骸であるかのように思える。部分的に成功していても、完全ではない。改善を試みても、前回の良い部分がそこでは影を潜めてしまうことも多い。これはロジックでみても、感覚でみても、同様の感想が出る。自信はない。自信はないけれど、楽しい。今では、あまり作品に対してどうこう言われても、昔ほど心が動かない。自他共に認める失敗作というわけだ。そして、そのくせにこれをまだ換金できないか?と今でも考えてもいる(笑)。
思うに世の中にあるアート作品の大半は同じようのものではないのだろうか?アーティストのトライがあり、精度の差こそあれ、エラーがある。そこに人は何かを学ぶのではないか?と思う
。だから、美術はすごいのだと思う。
これから、あと何年、こんな風に幸せなアーティストライフが続くんだろうな?先のことはわからないけど、コツコツやっていこう。そんな風に思います。
堀江和真