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手紙

2017年04月12日
 ボクは友人の誕生日に手紙をなるべく書きたいと思っている。普段なかなか会えない友達でもなんとなく一年に一度手紙を出すことで、ボクの方では勝手に会えたような気分になって楽しい。最近はe-mailやLineをはじめとしたインターネットのツールでメッセージなどは事足りるし返事もこちらのほうがかえってくる可能性が高い。手紙を書いてもなんの音沙汰もなく、読まれているのかどうかもわからないこともしばしばあるけれど、それでもやっぱりボクは手紙を書く。
 
 これは本当にボクの個人的な見解だけど、やっぱり手で書くことに意味があるのではないかと思う。自分の字で相手にメッセージを送る。時間の節約なんて、こういう場合はくそくらえである。ボクなんか万年筆で書く。書いたあと、しばらく乾くのを待つ。大した文面ではないが、これを友人に送る。
 リアクションがあるときもあれば、ないときもある。でもまぁ相手にも都合があるだろう。なにしろ時代はどんどん便利になっている。手書きの文章そのものが時代遅れ、お話しにならないと感じる人もいるのだろう。
 でも例えばSNSで簡単に誕生日のお祝いをしても相手の人はうれしいのだろうか?ちょっとはうれしいかもしれない。ボクも間に合わないといつもSNSで送る。せいぜい2行ほどであっさり送る。すると大抵「いいね」のボタンが押され、それでおしまいである。もちろん、このくらいの距離感がちょうどよい関係がほとんどである。
 SNSを使いはじめて、たくさんの方にボクのことを知ってもらえるようになった。絵を見てもらえて記憶の端っこにとどめてもらえるようになった。長いこと音信不通だった知人の近況を知ることもできたし、ふられて二度と会わないと言われた女の子とFBフレンドになって気軽に子供やママ会の様子をみることができる。便利だ。有名な作家とも知り合いっぽい感じになる。とても便利だ。
 でも、なんとなく味気ない。だからボクは手紙を書く。年賀状も書く。DMも出すし、手紙も添える。

 まぁ、単純に好きなんだろうなと思う。ボクは手紙を書くのが好きなのだ。返事とか来なくても書く。

 先日、友人の誕生日に手紙を送った。難病と闘っていると聞いたが、うまく想像できないままに送った。数日後Lineで返事が来た。あっさりとした文章だけどうれしかった。ボクは最近彼の闘病の記録のブログを読んでいる。文章でみると淡々として見える。こういうときは肉筆とかじゃないほうがいいなと思う。迫力が出すぎるからね。
 今度彼と呑みにいこうと思う。久しぶりで語ることができたらと思っている。ボクらは高校1年のときに出会って、わりとウマがあった。けど大学のときに彼はとても社交的な人間になり、ボクは閉鎖的な人間になった。
 あれからずいぶん時間がたった。ボクは絵描きとなり、彼はやり手の会社員だ。今ではボクもその気になればかなり社交的な人間になることができるようになったが、今度はボクが身を置いている場所が閉鎖的だ(美術界のこと)。
 はてさて、2人でどんな話をすることになるのやら。でもまぁ、やっぱり手書きの手紙を送ったのがよかったのかなと思っている。



堀江和真