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いやはや その3

2021年01月29日
 こんにちは。堀江和真です。ボクは絵を描いたり、作品をつくりながら、毎日を過ごしています。このブログでは、そんな日々で感じた事や起こったことを、のんびり綴っています。

 最近のこと、その3。

 今更だけど、年賀状のこと。ボクは割と年賀状というものに敬意を持っていた方だと思う。最近は書かない年もあったけど、ほとんどの年、書いていた。挿絵は印刷とか版画とかにしてたけど、宛名とあいさつ、メッセージは全部手書きで書いていた。メッセージに関しては一人に100字は書いていたんじゃないかな。そうすることで、先方との縁を保つことができると信じていた。なので毎年12月になると半月はかけてコツコツと年賀状づくりに勤しんでいた。

 さて今年はどうしたかというと、年賀状は書かなかった。いくつか理由がある。

 まずはお金と時間だ。年賀状を買うためのお金はバカにならない。そして毎年手書きで行う作業にも一枚5分だとして100枚書けば500分割くことになる。これはなかなかである。

 ただし、このことでボクの目的である人との縁を保つということが達成されれば、500分もお金も惜しくはない。

 そしてこれが2つ目の理由なのだが、年賀状がちゃんと届いているのか核心が持てないということである。何も郵便局の方を信頼していないわけではない。ボクが思うのは、お家にはがきが届けられても見てもらえたか、よくわからない。ボクの100文字を超える手書きの文章を相手は読んでくれているのだろうか?

 3つ目の理由としては、先方とのやりとりができないということ。年賀状で一方的にメッセージを送っても返事が来るわけではない。これはメールなので気軽に意思疎通ができる世の中において、ずいぶん時代遅れなのではないか?と思う。

 でも例えば結婚したとか、子どもが生まれましたとか、そういうお知らせは写真つきで近況をお知らせするのはわるくないと思う。やっぱりデータじゃなくて物質の強みっていうか、なんとなくいいよなぁと思う。ボクの場合はそういうのもない。

 以上の理由で、今年は個別にメールだとかline、メッセンジャーなどを駆使して、ご挨拶をすることにした。ただし、これも考えてみれば時期が難しい。まず1日というのは野暮だなと思う。lineなんかはとくにそうだと思うのだけど、読んだらすぐに返信するのが礼儀のようなところがある。年明けに、そのようなことを先方にさせるのは、ちょっとなぁと思うわけである。2日とか3日もあまりそういうのが良いとは思えない。それで、4日あたりにボクの場合は、メッセージの文章をお送りした。

 結果、どうだったかというと、これがけっこう良かった。まず送ったメッセージはほぼ返信が来た。そして簡単なコミュニケーションをとることができた。これは年賀状の一方通行より、はるかに手ごたえがあった。年賀状をいただいた方にも、事の経緯を書いて、メールのみですませた。中には、そっけなくて、ちょっと不愉快に感じているのかなという人もいたけど、まぁそれは今後考えればいいかなと思っている。

 年賀状問題、これはボクの中では、けっこう深淵な問題なのである。

 ……いやはや、いやはや




堀江和真

 

いやはや その2

2021年01月20日
 こんにちは。堀江和真です。ボクは絵を描いたり、作品をつくりながら、毎日を過ごしています。このブログでは、そんな日々で感じた事や起こったことを、のんびり綴っています。

 最近のこと。その2。

 まぁ、あんまり実りのない話である。でも実りのない話っていいよね。

 年末年始、ボクはどのように過ごしていたか?

 世間では、コロナウィルスの影響で帰省ができないってことだったりで色々な制約があったようだが、ボクに関してはある意味、自分の中での制約を溶いたような形の年末年始であった。

 30日の夕方まではけっこう忙しく大掃除をしていた。とにかく早く終わらせたい一心で前日の夜は深夜の2時まで作業をしていた。これが一段落し、気持ちがすっきりしたところで、仕事納と相成ったわけだ。
 今回のお正月は多くの人にとって、移動の少ない、したがって割とスケジュールが少ない期間だったのではないかなぁと思う。では、そんなに頑張らずとも、ゆっくり掃除すれば良さそうなものだが、ボクには年末年始をかけて、どうしてもやりたいことがあった。

 それは、テレビゲームである。「ファイナルファンタジー7」だ。ボクは、普段、テレビゲームをやらないようにしている。中毒性が高く、時間があっという間に過ぎてしまう。これをやっていたら、ほとんど何もしないうちに、おじいちゃんになってしまいそうで怖いからだ。ファイナルファンタジー7は、中学生の頃に熱中したゲームだ。今回はそれのリメイク版をやりたいなと思い、一ヶ月前から購入し、年末年始の間は全て投げ出して、ゲームに集中しようという企てを練っていたのだ。

 ゲームは楽しかった。10年ぶりくらいで、徹夜を経験しながら没頭した。首とか肩とかが痛くなり困ったが、とにかく好きなだけゲームをやりつづけた。1月2日のお昼には、なんとかクリアーに漕ぎ着けることができ、大満足の3日間であった。しかし、年が明けたという感覚もなく、大切な2020 年から2021年への気持ちの切り替えもうまく行かず、2021年の乗っけから、変なリズムになってしまった感は否めない。うーむ。



堀江和真

いやはや その1

2021年01月15日
 こんにちは。堀江和真です。ボクは絵を描いたり、作品をつくりながら、毎日を過ごしています。このブログでは、そんな日々で感じた事や起こったことを、のんびり綴っています。

 いやはや、2021年の幕開けである。ボクは子ども絵画造形教室をやっていて、今このページでも更新しているアーティストの仕事もしている。そして、どっちもブログを更新している。

 ちょっと文章の設定もあって、子ども教室は丁寧な感じ、そしてこっちの方はややぶっきらぼうな感じかなぁ。

 最近のことについて書いてみよう。

 最近は新しくカスタムカーのパーツを製造する会社でアルバイトをはじめた。車のパーツをFRPでつくっていく仕事なんだけど、ボクはここでひたすら研磨をしている。出来上がった商品はビタっとしてて、様子が良い。仕事は山積みで繁盛している会社のようだ。社員の人も皆、良い人たちだ。でも仕事はそれなりにキツイ。ただ、きちんと仕上げることっていうのは、とても大変なのだということを、改めてボクはこの場で学んでいきたいと思っている。
 新しい職場に行くと、いろんなことができない。基本的なことから、また学んでいかなくてはいけない。これが気持ちいい。もちろん注意もたくさん受けるし、こんなにもできないのかと思い知らされる場面も多い。ボクはもうそろそろ40になるけど、このサイクルの中にまだいられることが幸せだなと思う。まぁ、いつまでも法律で決められた最低賃金と人生の時間を交換していることには不毛さを感じることを禁じえないけどね。まぁでも役立たずにお金を払っている会社のことを思えば、まぁそれも仕方ないのかなとも思う。

 さてここで今、売れている現代アートの作品について、ちょっと思いをはせてみる。ジェフ・クーンズ氏とか村上隆氏とかね。ビカっとしてて、つやつやしてて、完全に120%仕上げてきている。どこにも文句をつけられないくらいの精度で、つくっているように見える。もちろん、内容も伴っているから売れているのだろうけど、彼らは完成度にはこだわり抜いているとなんかの記事で読んだ。完成度って大切なんだなと思う。

 ボクの作品はどうか?

 粗野である。絵画ひとつとっても、そうである。地塗りもしなければ、筆の跡、塗りムラ。ボンドの塗膜。下書きの痕跡など…一般的に仕上げるといったことから真っ先に削除されそうなもので出来ている感じである。でもボクは絵画というメディアを使って何かするのには、これらのことを非常に大事な要素だと考えているから、今のところ粗野であり続けることをやめる気はない。
 ただ一方で仕上げるということを身体で学んだボクが作る粗野な作品とは一体どんなものなのだろうか?とも思う。それはほんの少し違ったものなのではないのか?とも思う。

 はてさて……
 




 堀江和真