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話をしよう

2021年11月26日

こんにちは。堀江和真です。ボクは絵を描いたり、作品をつくりながら、毎日を過ごしています。このブログでは、そんな日々で感じた事や起こったことを、のんびり綴っています。


さて、先日は最近、美術のプロジェクトを一緒にやっているカルチュラルライツの上久保くんと一緒に横浜に行ってきました。目的はプレゼンや会場の下見、アーティストとの食事などです。


横浜bankart、黄金町アートバザール、似て非works、lunchpad gallery、関内大通り公園と2日間に分けて、巡ってきたけれど、楽しかったなー。


ボクが美術をまだ続けていられるのは、ボクの美術に興味を持って話を聞いてくれる人たちがいるからだと思う。まだまだだねと言われることも、しばしばだけど、まず話しを聞いてくれるということは、素直に嬉しい。


だからか、わからないけれど、ボクも美術の話しをしてくる人が来たら、なるべく真摯に聞くようにしている。ついつい口が滑って辛辣なことを言ってしまうこともあるけれど、まったく相手にしないということはしない。なんでかと言うと、ボクはボクの話を聞いてくれた人に昔から今も救われ続けているからだと思う。


堀江和真


こんにちは。堀江和真です。ボクは絵を描いたり、作品をつくりながら、毎日を過ごしています。このブログでは、そんな日々で感じた事や起こったことを、のんびり綴っています。


さて、今回は、良い絵を描こうとすることはありなのか、なしなのか?、というテーマで書いてみたいと思います。


そりゃ、ありに決まっているでしょう?という声が聞こえてきそうですが。そんな方に質問です。ずばり良い絵とはなんでしょうか?まずもってして、それすらボクにはわからない。それでも良い絵を描こうとすると下腹のあたりがムズムズし出す。緊張してくる。意味がわからない。


昔から、自分に言い聞かせてきたことがある。それは「良い絵を描こうとしないこと」。今描いているものが傑作になりうるかるどうかは他人が決めることだし、それを自分でコントロールできるくらいなら、苦労はしない。リラックスして、手首を柔らかくしておくこと。鼻歌を歌うように描くこと。それこそが結果的に良い絵を生む手段としてベストだと今でも思っているようなところがある。


けれど、最近のボクは「良い絵」を描こうとしている。それがどういうものかわからないまでも、意識をし出している。

前述したように、そうすると、下腹がムズムズし出す。緊張をする。ドキドキする。


でも、これは一体なんだろうか?


もしかして、けっこうスリリングなんでないの?そう思うようになってきた。


良い絵を描くことに意識的になってやってみる。何回も言うが、良い絵がどういうものなのかは、わからん。わからんが描く。


...スリリリリリリングだねぇ。


スッ


リリリリリ


んぐっ。



堀江和真


額装について

2021年11月01日

こんにちは。堀江和真です。ボクは絵を描いたり、作品をつくりながら、毎日を過ごしています。このブログでは、そんな日々で感じた事や起こったことを、のんびり綴っています。


さてさて、教室は額装について、ちょっと書いてみようかな。ボクは昔、画材屋世界堂に勤めていたんだけど、そこで一番情熱を注いでいたのが、この額装だった。お客さんが持ち込んだ作品を額に収めるという仕事だったけど、お客さんによってはどんな額縁が良いか?どんな加工をするか?の相談にのることも少なくなかった。これがとにかく楽しくて夢中になった。


そんな額縁好きのボクだから、自分の作品の額装はさぞこだわっているのかなと思う方もいるかもしれない。実はここ7年はほとんど額装をせず、パネルやキャンバスを剥き出しで壁に展示というのが多かった。額装することで、作品のコンセプトが見えづらくなってしまうことや、余計な装飾で作品そのものがもつ魅力が、変化してしまうことがいやだったらからだ。


でも先日、ふと思い立って、ドローイングを額装してみた。古い額縁をペンキで塗って、カラフルなマットを使っての額装だ。...とても楽しかった。


20代を額装に魅了されて過ごしたボクだ。これを自分のパワーポイントとして活用できないだろうか?そんなことを考えている



堀江和真