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走る

2019年06月24日
 最近、失恋をした。それで、当たり前のように落ち込んだ。しかし、落ち込みはするけれど、昔みたいに過食に走ったり、やけ酒をしたりして憂さを晴らすというようなことにはならないで済んだ。単純に歳をとって、そういったエネルギーが減ったせいもあるだろう。

 あとは多分、ボクはこれまでの人生であまりにもたくさん敗け続けたっていうのもあるだろう。美術に勝ち負けがあるのかと言われれば、それについてはよくわからないが、感覚としては敗け続けているっていうのが正直なところ。自分の表現したいものがうまく出せない。人にうまく伝わらない。傑作と信じている作品ができてもたくさんの人に見てもらえない。作品が売れない。…不満だらけである。でもなんでやってるかっていうと答えは単純である。それは楽しいから。

 恋愛が楽しいかと聞かれれば、素直にイエスとは言えないボクである。でも数少ないボクの恋愛の中でも今回のものは、かつてなくモジモジとした、そして美しいものであったと胸を張っていいたい。後悔がないかと聞かれれば答えはノーである。今はウジウジしている。

 だけど、立ち止まってはいけない。ボクはもう38歳だから。次の恋愛を探すのかは謎だけど、このままの自分ではいけない。オーバーホールして、そこからさらに進化しなくてはいけない。

 人として、男として、作家として、進化しなくちゃいけない。少し水準をあげた先に見えてくるものがあるはずだ。

 でも、どうしたらいいのか?

 手っ取り早いのは、やはり体を変えることだ。ボクは太っているから、とりあえず体重を9月末までに10K絞ることにした。方法は食事制限と運動だ。まっとうだ。手軽にやせる方法が世の中にはたくさんあるらしいが、それでは意味がない。ちゃんと努力して結果をつかまなくていけない。体が変われば、見た目も気分も変わる。体力がつけば、パフォーマンスもあがる。自信もつく。悪くない。

 バイト先の看板屋で一緒の男の子にひょいっと、「GYMでも通えば?」と言われる。その場では軽く「そうだね」とだけ答えて終わりにしたが、悪くない気がした。近所に市で運営している100円のGYMがあるのだ。さっそく、その夜行ってみることにした。
 この日行ったこと、ランニングマシーンで17分ウォーキング、3分のランニングと筋トレ…以上である。もっと頑張れとみなさんは思うかもしれない。けれど、自慢ではないが、ここ8年3分なんて走ったことなかった。走れるなんて思ってなかった。……うれしかった。
 学生のときは一日15K走っていた。フルマラソンにもチャレンジしたこともあった。それがどんどん太って走れなくなった。
 …でも走れた。フォームだって悪くない。自分も捨てたもんじゃないと思えた。良い兆候だ。
これが先週の金曜日のこと。それから昨日今日とGYMに行ってる。何度も3分のランニング体験を繰り返し味わっている。来月は4分走れるようになろうと決めた。体重だってガンガン落とす。

 もしも、10kちゃんと落とせたら、ボクはちょっとだけ自信が持てると思う。まぁ、もちろんダイエットだけやってればいいってもんじゃない。だけど、人としてとか作家としての努力って短期間で変わったという実感が持てるほど変化するのは難しい。

 人は変化することができる。良くも悪くもだけど。自分が良くなっているのか、悪くなっているのか判断するのは難しい。けれど、何もせず、変化を恐れてじっとしていることほど、バカバカしいこともない。しかし、ウジウジしているのも楽しいことも確か。

 今回の人はボクにとっては運命の人だって思ってた。だけど、相手にとってはつまらないすぐに飽きてしまうダサい男であったようだ。それは否定はしない。そして、この先もそこから脱せるかどうかなんて保障はできない。より退屈な男になるかもしれない。けれど、変わり続けること。
 少なくともボクは変化することを楽しみにしているし、期待している。そして、変わったボクが表現する美術というものにも期待している。

 よーし、頑張るぞ。このブログは多分、ほとんどの人が見ていないことだろう。だけど、3か月後、良い結果を報告したいものである。



          堀江和真

 ボクは相模原にあるアトリエボイスというところで、自分の作品をつくっている。このアトリエボイスというところは、詳しいことはよくわからないけれど、もともとはミシン工場であったとか、美術の予備校のようなものだったとか、なんだかいろいろあって、アーティストの作業場と現在はなったわけである。

 さて、このスタジオは建物の2Fに位置しているわけであるが、1階は現在は花屋さんと健康グッズの販売をしている場所となっている。その前は義足の工場であった。花屋さんはボクがこのスタジオに入ったときの2011年にはすでにあったのか、記憶が定かではない。

 なんだかおしゃれな場所にスタジオを構えているのだな?と来たことのない人は想像するかもしれない。そんなことはない。全然ない。
 花屋さんに勤めているのは若い人たちである。毎日、元気な話し声がきこえてくる。冗談を言ってるのか笑い声がワーっとおこる。でも、花を買ってくれるお客様は専ら葬儀場だという。つまり死者のための花を仕入れている。なるほど、そんな商売もあるのか~と思う。たしかに、ないと困るもんなぁと思う。
 もう一つの健康グッズのところは、週に何度か、おじいちゃん、おばあちゃんを集めて健康についての講義をしている。おまけに無料でちょっとした食品をくばったりしている。これで商売がなりたつのかなという感じだけど、回を追うごとに、ちょっとずつ高額な商品を売りつけていくという仕組みらしい。最初はみんなに平等に親切だったスタッフは買わないお客さんにはちょっとずつ愛想がなくなる。孤独な老人の方はさびしい。だから商品を買う。商品はどんなものなのかわからないけれど、不良品ってわけでもなし、詐欺とかそういうんじゃない。催眠商法というものらしい。でもまぁ、接待費を含めての料金と考えれば高くないのかもしれない。よくわからない。ただ、昔ボクの祖母がそんなようなので、高いベットを買わされ、すごく不快な思いをした。クーリングオフしたけど。

 健康の講義にかぶりつきグッズを老人に売るお店は、なんだか「生きる」ってことへの強い執着を感じる。葬儀用の花はもちろん「死ぬ」ってことに密接な関係がある。

 そして、それを上の階でぼんやりと眺めるボク。彼らからしたら、一番あやしいし、訳の分からない人間であろう。ボクの職業はアーティストだ。全然食えてないから、ほかの仕事もせっせとやらざるを得ないのだけれど、それでもメインワークはアーティストだ。
 毎日なんかつくってる。つくったものは生活必需品ではない。美術品と呼ばれているが、美しいものばかりつくるとは限らない。目指すのは自分の死後の世界でその名と作品をとどめること。自分の死後の世界を夢見る人種である。生きている間に成功することにも興味はもちろんある。けれど、もしかしたら死後の世界の方が興味があるかもしれない。なぜなら作品が保存さえしてもらえればその寿命は人間の比ではなく、何千年にも及ぶ可能性があるからだ。
 現実逃避と人は言うかもしれない。否定はしない。でも現実だって、曖昧でよくわからない、このボクだ。少し多めに見てほしい。

 「生きること」と「死ぬこと」、そして「死んだあとに生きること」、そんなことを思う今日この頃である。



                        堀江和真

 さて、まずは久しぶりの投稿ってことで、あまり意味のなさないようなものから投稿してみようか?と思う。まぁ意味があるとかないとかっていうのも正直な話、自分には判断がつかないのだけれど。

 ボクは一か月分のスケジュールをよくカフェやなんかにいって組み立てることが多い。その月にやるべきことをピックアップして手帳に書き込む作業なのだが、なるべく気分良くできるよう工夫している。おいしい珈琲とナイスな音楽、ちょっと洒落た空間。これだけあれば大体機嫌がよくなる。この条件を満たすお店はボクが住む街には何件かしかない。だから大体毎月そのお店に行く。

 昨日もこの6月の予定を組むべくカフェでわくわくしながらスケジュールを立てていたのだけど、何だか騒がしい。少し離れた席の若い女性の3人組が熱く近況を語りあっていた。そのうちのひと際熱い女性はバンバンと机をたたきながら、語るのが癖らしく、ボクの机もガタガタする。ボクは人の雑談をラジオ替わりにして過ごすのは割と好きなので、それで気分を害することはあまりないけれど、手帳を書いてる最中に揺らされるのには、いささか参った。

 何を熱く語っているのかな?と思ったら、仕事がダルイ。辞めたい。かっこいい男の人はいないかな?それでもって高学歴で一流企業に勤めている人はいないかな?かわいい女の子を携帯で見ていいよねって言ってみたり、でもちょっとこの子の欠点がね……、みたいな話をしていた。他愛のない話である。そしてボクも若かりし頃、同じような話を夢中で話した時期もあった…ような気もする。
 しかし、今のボクはこれらを遠い国の話かのように聞いていた。そういえば、そういう価値観があったのだと思った。三人の女性からしたら、ボクは本当に世の中の屑のような存在なのだろうなと思った。かっこよくない。学歴もなく、一流企業になんて勤めたこともない。でも、けっこうワクワクして過ごしている。

 「なんだか、ずいぶん遠くまで来ちゃったな」と思った。

 「もっと遠くまで行くよ」





                      堀江和真