本日 127 人 - 昨日 87 人 - 累計 156523 人

愛をつなごう文化祭

 毎年、3月になるとできるだけ参加しているイベントがある。それは「愛をつなごう文化祭」という2011年以降、東日本大震災を機にはじまったチャリティーイベントである。主催は柚季純さんという声楽家の方で当時いきつけの呑みやにチャリティーイベントで歌いに来たのを機に知り合いとなり、その流れでイベントにも参加させてもらっている。

 このイベント、3月と8月の年に2回のイベントとなっているのだけれど、まずミュージシャンたちのライブが主軸になっている。ボクは絵描きなので、毎回とくに貢献するでもなく隅っこでライブペイントをしたり、会場の子どもたちと工作を楽しんだりしている。とはいえ、だんだんと仲良くなってくれる人たちもいるもので、ミュージシャンのカギボスの二人はとくに仲良くしてくれている。今度CDのジャケットのデザインもさせてもらう予定で、音楽へのあこがれが強いボクにとってはとてもうれしいことです。

 東日本大震災から6年という月日が過ぎた。日常生活に集中していると当時のこともだんだんと忘れていってしまうし、今も復興中の被災地と、そこから懸命に生きている人々のことも想像が難しくなっていってしまう。ボクの場合はこのイベントにできるかぎり参加することで、ほんのわずかだけど、復興に携わることができているのかも知れないという救いになっている。
 2011年3月11日からしばらくは、美術作家たちも発表の自粛が行われたり、しばらくすると東京電力への強い反発や地震や被災地をテーマにした作品をつくる作家たちがあふれた。時代の雰囲気みたいなものに敏感に察知し、表現していくのがアーティストの一つの仕事のあり方でだし、これは正しいことなのかもしれなけれど、ボクはそれはやらなかった。自粛もしなかったし、震災をテーマにした作品もつくらなかった。変化がなかったとは言わないけれど、とにかく周囲の流れにはのらなかった。
 別に批判するつもりは全然ないけれど、当時声高に震災をテーマにしてアートをうたっていたアーティストたちは今全然違うテーマで仕事をしたりしている。ほとんど忘れてしまった人もいるだろう。忘れないでまだアートをつくっている人もいる。でも、なんとなく冷遇されてしまったりするケースもある。

 6年という月日を経て、こんなことを思ったりもする。

 今年のイベントは盛況だったかというと、よくわからないが、とても有意義だったと思う。打ち上げは夜の25時過ぎまで続き、ボクは家路まで2H以上、一人とぼととぼと歩いて帰った。震災のときも帰宅難民になり歩いていたっけ。あのときはたくさんの人たちと行列をなし、歩いていた。思えば変な対比である。まぁ、ほろ酔いでそんなことを考えたりした。



            堀江和真

 
 

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):