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レ点を打ちまくれ

 先日のお盆休み。バイト先も休みなら子供教室の予約も少なかった。したがって、こちらが希望しているわけでもないのに、大型連休ゲットである。9日間、収入のある仕事にありつけなかった。サラリーマンにとっては黄金の時間でも、その間、有給がでるわけでもなく、ただただお金が入らないフリーターや自営業の人にとってはひたすら迷惑なだけである。今年は5月もそんなのがあって、一体、国の人は何を考えているのかな?と思ったものだ。その分、税金とか年金の取り立てをカットしてくれれば全然OKなんだけどさ。

 ボクはルーティン型の人間である。だから、自分が欲しいわけでもないタイミングで連休とかもらっても、全然うれしくない。ボクの場合、休みになったからといって制作のペースを急激にあげることなどできない。そういう身体のリズムになっていないから、いきなり一日8時間制作して、その間集中して仕事ができるかと言われたら、ボクはできない。8時間集中してやるには、それなりの日々の習慣化が必要なのだ。

 ボクの強みは毎日制作することはできることだ。ただし、朝と決めたら朝にしかできない。それ以外の時間もやることはあるけれど、うまくいかないことが多い。よくアーティストはインスピレーションが降りてきたときに、一気に集中して制作をするなんてことがイメージとしてはある。実際そういう人間が多いのも事実だ。ボクにも、そういうことはある。ただし、年に一回あるかないかだけど。で、それが全部傑作になるかっていったら、そんなわけはない。毎日コツコツつくった作品と比べて、決定的な差があるかと言われたら、それはないと思う。正直に言うと、ボクはインスピレーションが降りてきたときにだけ、手を動かしたり、仕事が決まったときにだけいそいそと制作をするアーティストのことを、あまり好きではない。たまにひらめいたときにだけ、制作して、その出来に一喜一憂する輩をみて、仲間のアーティストが言った言葉は「ああいうのを気晴らしっていうのさ」である。ボクもそう思う。だけどそういうアーティストでも世間で高く評価されることはある。毎日、バカみたいに制作しているボクのような作家でもまったく見向きもされないこともある。しかし不公平だとは思わない。良いものは良いし、悪いものは悪い。努力したから、良いのができるとは限らない。また、毎日制作しているっていうことが努力しているってことなのか?と言われたら、ボクには正直わからない。制作なんかしないで毎日美術史をせっせと勉強することの方が大切な気がするし、社会勉強じゃないけど、いろんな仕事をしてみることとか、海外にいってさまざまな体験をしたり交友をひろめることの方とかが大切なのかもしれない。全部できたらいいけど、人生はあまりにも短い。だから、何をするか選ぶしかない。選ぶってことは他の可能性をとりあえず削除するってことでもある。ボクはバカだし、単純だから、制作を毎日する。理由はそれが性分に合っているからだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 とはいえ、ムカついてはいる。理不尽だとも思っている。もっと褒められたいし、もっと稼ぎたいし、大きな仕事をまかせてくれよって思っている。でもそれと同じくらい、なんかもうどうでもいいやって気分になることもある。失恋しちゃって、この先、ボクがどんなに活躍したとしても、その愛?みたいなものを取り返すことはできないのだと思うと、あとはもうどうでもいいやって思う。

 昔はそれでやぶれかぶれになって、適当に毎日酒を呑んで、くだを巻いて、いろんなことに対して文句を言って、憂さ晴らしして半年くらい過ごせば、それでいい加減嫌になったところで、リスタートすることができた。今のボクはそれができない。焦っているからだ。そんなことしてたら、すぐに40代に突入である。2、3日、何もしないだけで、後悔をする。でも、何かしたからって満足できるのか?と言われれば、わからない。今は昔ほど成功ってこういうものだっていうビジョンが明確ではないし、もしかしたら、今のボクだって成功者なのかもしれない。お金も時間もたっぷりあるわけではないけど、困らないくらいには自由になるし、好きなことを仕事にできているのだから。
 
 ……まぁ、とにかく、わからないときは考えない。連休とかで時間が急にできたときは特に。お盆休みの間は簡単な雑用をピックアップして、携帯のメモ欄にリストをつくっていった。何か思い出す度にリストを追加していく一方で、一つ一つこなしていった。できたらレ点(チェック)をいれていく。これを一週間ずっとやっていった。連休が終わるころに数えてみたら80個ほどの雑用が終わっていた。この数字にはちょっとだけ満足感を覚えた。
 
 ちょっと話は変わるようで変わらないのだが、ボクは実現したいことを書き出して、これを持ち歩いている。それが実現したら、それを別のノートに書いて、普段持ち歩いているメモの項目からははずしていっている。大きな夢ばかりを書いているわけではなく、些細なことがほとんどの実現メモだから、真面目にこなしていくと1年間でノート一冊分くらい、あれやこれを実現させることができる。それはなんとなく雑用のピックアップと、それをレ点を打ってこなしていく作業と似ている。自分にとって大きな夢であったことでも、小さなレ点をたくさん打っていった結果であることは間違いがなく、夢がかなったときでも、それはある日自然にかなっていることに気付くというようなこと多い。


 レ点をたくさん打っていくこと。それが人生の喜びなのかもしれない。それは空しいのかどうか、ボクにはよくわからない。だから、あまり考えないようにしよう。

 とにかくレ点を打ちまくれ!今見えている風景が変わるまで。また、人生に希望が持てるようになるまで。



   堀江和真

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