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粗忽長屋

こんにちは。堀江和真です。ボクは絵を描いたり、作品をつくりながら、毎日を過ごしています。このブログでは、そんな日々の中で感じた事や起こったことを、のんびり綴っています

 さて、みなさんは、粗忽長屋という落語をご存知だろうか?それほど落語に詳しくないボクでも知っているくらいだから、けっこう有名なお題目なんじゃないかな。

 このお話は、とにかく、とんでもビックリ人間が出てくる。粗忽っていうのは、そそっかしいというくらいの意味合いなんだろうけど、まず常識では考えられないくらいのお話である。街中で、身元不明の死体をみた主人公がこの人に見覚えがないかと聞かれ、これは隣人だと言う。だけど、隣人は生きている。隣人は隣人で粗忽者だから、死んだのに気づかずに生きていると考えた主人公は隣家を訪ね、今日街でお前、死んでたよと伝えられ、隣人は仰天。あげく最後は信じてしまうという、こんな感じ。単なる人違いも粗忽者にかかれば、この通りである。

 正直、笑いを超えて、なんだか気分が悪くなってくるようなお話である。でも、ボクは何を隠そう、この話に、勇気をもらい続けてきた男である。ついこの間まで働いていたバイトの職場の社長が粗忽長屋のスケールをひとまわりかふたまわり小さくしたような人物だったからだ。これは現実の世界ではかなりつらい。でも、粗忽長屋のお話を思い出すと、なんだか落語の中の事柄のようで、なかなかに面白い。面白がられた本人は当然気分が悪い。だからか分からないけど日に日に、粗忽パワーは増していき、どんどんおかしな事になってきた。これはダリの撮ったシュールレアリスムの映像か?ジョンレノンの夢の再現映像か?不思議の国のアリスのお茶会か何かか?そのようにして、面白いを超えて、次第に気分が悪くなってきた。

 ボクは信じられないことに、ここで3年間働いた。ボクがそうやってヘラヘラしている間に実に20人もの社員やアルバイトが辞めていった。社員が10人に満たない会社で、この辞職のスピードは驚異のものだと思う。そうやって登場人物がくるくる変わっていくところも、ボクにとっては飽きがこなくて良かったのかもしれない。

 まぁ、しかし、コロナに包まれた2020年もおわりを告げようとしている。そろそろ、まどろっこしい悪夢から醒めても良い頃合いじゃない?ということで先日退社してきた。

ネクストだ。ネクスト行こう



堀江和真

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