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美と愚

 最近、読んでいる本、森村泰昌さんの「美術の解剖学」という本があるのですが、その中ですごくわかりやすくていいなぁって思ったものがいくつかあったので、今回はそのうちの一つを紹介してみようと思います。

 美術っていうものをこんな風に例えて書いています。この文章はボクなりに要約しています。
 大きな横断歩道がある。信号があるが、ずっと赤信号である。たくさんの人がどうしようかと困っているとする。
 この時、赤信号なのだから渡らないという人がいる。この人の判断を支配しているのは規則である。次に赤信号みんなで渡れば怖くないというように協調して渡る場合は念頭にあるのはコモンセンスということになる。
 それでは皆の判断にもまかせないし、規則にも縛られず自分の判断で大丈夫だと判断してさっさと先に渡る人物の判断を支配しているのは何かというと自分の物差しである。つまりこれこそ美術というもののスタイルなのだという話だ。しかし、この自分の物差しというもので判断ミスがあった場合は自分で責任を取らなければならない。もしも、その時に危ない目などい合えば、周囲の人に冷ややかな態度をとられても仕方がないかもしれない。「美」と思っていたものが一転「愚」に変わる可能性を秘めているという話があとに続いた。

 この例え話、とてもうまいなぁとボクは関心してしまいました。美と愚がとなりあわせという感覚は忘れてはいけないことなのだと思う。自分では美だと認識していたものが愚に転じる瞬間がある。なんだかなぁと思うときもあるかもしれない。けれど、それはそれと考えてやっていくしかないと思う。
 まぁ、ちょっと違うかもしれないけど、アートには愚かな~というような要素もけっこう必要なんじゃあないかと思う。そういう意味では「美と愚」は表裏一体でセットなのかもしれないとも思っている。



                     堀江和真

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